今日だけは、神に祈ろう

出身地北見に戻り、早5年が過ぎた。
両親とのコミュニケーションも増え、有り難みを感じながら少し親孝行らしい食事会も昨年はできた。
私も今年は50代の仲間入り。親のことは大抵知っていると思っていたのだが、意外な事実が先日判明した。
いささか不謹慎言い方ではあるが、私が思っている程、神仏を重要視していなかったということである。

実家には、遺影や位牌もないのに小さな頃から仏壇があり、盆正月はもちろんのこと、何か頂き物があれば一旦お供えする。
父はお経をほぼ空で言えるらしい。
そして神棚もあり、幼い私にも厳かなお参りを毎年半ば強要される。
宗教どっぷりではないから、その点はこちらは気が楽なのだが昨年末の母の発言に意外な一面を見た。

実家の神棚清掃、米・塩・酒などのお供え物をしていると「○○のおじいちゃん(仕事上大変お世話になった方)に”日本人なのに神棚がないのはおかしい”と言われて付けたのよ。」と母。
おそらく、雨漏りしてネズミの出る長屋の賃貸アパートから、一戸建て賃貸住宅を経てマイホームを手に入れた時か。
そう考えると母が32・3歳の頃である。

今でも神も仏もない家に住む私にとっては、祭壇がないのが普通。
襟を正して感謝を捧げる場として考えて、遅ればせながらこれも必要かなと思い始めていただけに少し驚いた。

トイレの神様を含めた八百萬(やおよろず)の神を信じる日本人にとって、万物に神が宿り、全てのものを大切にする心への醸成には、その考え方は貢献するが一神教でないことからか「神」に対する畏怖の念は、軽んじられてしまうのだろう。

特に最近は「神」という言葉に対する威厳がない。ネットの世界を中心にたやすく連発されている。
何か能力的に優れたスーパープレイヤー、自分の信奉する人物という意味でも使われているようだが、どうも私にはしっくりこない。

「神業(かみわざ)」、「神芸」という使い方(神のような的)、また、「神童」や「野球の神様」までなら許そう。
だが、単にその人自身を「カミ」と呼んでしまうのにかなり抵抗があるのは、おじさんになっている証拠か?
少なくても外国人には通じまい。

今日はセンター試験。
甥っ子も受験だから、若者たちの奮闘を願い、天の邪鬼ながら今日は神に祈ろう。

[0 コメント] [2014.01.18更新] [投稿者:石崎石油/石崎]

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